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2007年12月28日 (金)

今日という日は・・・・

 

今日はいつもに増してちっとばかり湿っぽいお話です。

 

 

今日は、ワタクシの母の命日でございます。

24年前の今日、ワタクシの母が亡くなりました。

肺がんでした。

ガンとわかったときは、余命6ヶ月と言われたそうです。

亡くなる年の春に風邪をひき、なかなか治らず大きな病院にいった時にはもう手遅れな状態でした。

亡くなるまで、父はワタクシ達姉妹にモチロン「余命6ヶ月」の事は秘密にしていました。

でも、ワタクシにはわかっていました。

母の病気が治らない事が。

学生だったワタクシは毎日病院に通っていましたので、

日に日に小さくなっていく母を、

立って歩く事が出来なくなる母を、

だんだん意識朦朧としていく母をみて

ワタクシのどこかで「もう治らない」とわかっていたのです。

 

ガンはどこのガンでもそうだと思いますが、

それはそれは痛いらしいのです。

母も亡くなるまで痛がっていました。

点滴も痛けりゃ、身体中痛い。

意識朦朧としている母は無意識に点滴を引き抜こうとして、両手をベットに固定されていました。

そして

「家に帰りたい。家に帰りたい」

と。

 

そんな母をみていて、ワタクシは

もう勘弁して~~!!

もう痛みから解放してあげて~~!!

と思っていました。

痛みからの解放が「死」だと言う事は本能でわかっていたのです。

 

母が亡くなった時、ワタクシは悲しみました。

でも、本心は「よかったね。」と思っていたのかもしれません。

だって、痛みから解放されて、やっと、家に帰ってこられるのですから。

 

多分、ワタクシは毎日毎日、毎日毎日

母が「死」に向かって行く姿をみていたから

受け入れられたのかも知れません。

(ある意味「酷」でもありましたが)

すでに社会人だった姉は目も当てられない程の崩れようでした。

 

葬儀のとき親戚一同、友人一同に「親不孝者のBUNちゃん」って言われましたが、

ワタクシ涙一つだしませんでした。

泣けなかったのです。悲しかったのだけど。

だって、母はやっと病気から解放されたのですから。

 

たぶん、毎日病院に通っていなかったら、

ワタクシも人並みに泣いたかも知れません。

 

大丈夫、泣かなかったからって、怒るようなワタクシの母ではありませんから。

だって、BUNちゃんのかあちゃんですから。

うふふ。それに、夜そっと枕を濡らしているのを母はちゃんと見てるはずですから。

 

母は病気一つせず、せいぜい肩こりがひどいくらいで病院にもかかりませんでした。

お酒も飲まないし、タバコも吸いません。

肺がんになったのは、多分ちがうところに出来たガンが転移したからだろうと医者に言われたそうです。

 

どうぞ、女性の皆様、特に主婦の皆様、毎年1回健康診断に行ってください。

どこも悪くないと思っても、必ずいってください。

ワタクシも行っています。
  (・・・・ワタクシはメタボだけです)
      (・・?メタボもだめ?・・・・)
          (・・来年こそダイエットしますです・・)

何処も悪くなければ、そりゃ結構!

何処か悪けりゃまだ間に合う!!

 

 

今日は命日だってぇのに、

ワタクシは午前中フラダンスのレッスンに行ってまいりました。

フラフラ♪フラダンス~~♪

ちょっと上達しましたね。と先生に褒められました (^_^)v

 

毎日元気で、面白おかしく、幸せ(多分)で、

命日にフラダンスを踊っているワタクシや

会う事が出来なかったワタクシの旦那のターさんや孫のオーちゃんを

天国から母はヘラヘラと笑いながら見ているはず。

 

これからもワタクシはターさんやオーちゃんの為にはモチロンですが、

母のためにも、平凡でもいいから幸せに暮らしていきたいと思っております。

 

 

年末なのに、湿っぽい話題ですみませ~ん!!

相変わらず長文ですが、お読みくださってありがとうございます。

 

 

 

 

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              ありがとうございます!!
              今日のワタクシ何位か見てみてネ!!

  

 

 

 

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コメント

こんばんは。
私も父を12の時に亡くしました。
幸いにも、父は自覚症状もなく、痛みもなく、あまり苦しいということはなかったようです。
喉頭がんでしたが、火葬したときに、ガン細胞が、焼けずに棒で叩いても焼けなかったことを鮮明に覚えています。
内臓のほとんどが、ガンでしたので、きっと末期だったのでしょう。

夜中に、こっそり吐血して、看護婦さんが見周りに来るまで、誰も亡くなっている事に気が付かないほどでした。
とても優しい人だったので、神様が苦しまずにそっと連れて行ってくれたのだと思っています。
今、二十数年経ちましたが、今でも父のことを思い出します。

私も健康に人一倍を使うのは、父の影響が多々あります。
間違いなく、私は子供より早くに逝きます。
父の死が突然だった(寝込むこともなく、前日までふつうに闘病生活を送っていました)ように、私も突然いなくなっても、子供たちが路頭に迷わないように、育てるのも親の務めかと思います…
まとまらない文章でごめんなさい。

投稿: たっつみぃ | 2007年12月29日 (土) 00時06分

たっつみぃ様
 
コメントありがとうございます。
そしてごめんなさいね。悲しい思い出を思い出させてしまいましたね。
どうぞ、悲しい思い出ではなく、楽しい思い出だけ思い出してくださいね。
私もそのように心がけています。
 
でも、本当にコメントいただけて嬉しかったです。本当に。
 

投稿: BUN | 2007年12月29日 (土) 08時37分

突然、こちらにコメントしてスミマセン。

Bunさんのお母様も肺ガンで亡くなられていたのですね。
私の母も病院いらずの健康さで、お酒も飲まなければ
もちろんタバコも大嫌い。
なのに、肺ガンでした。
父と母と私は、あまり仲の良い家族とは言えませんでしたが、母の病気がきっかけで初めて家族がまとまったような気がしました。
約2ヵ月間、実家で介護していましたが
治らないとわかっている母を看るのが とても辛かったです。
もちろん、身内の方を亡くされている方は
この世の中にたっくさんいらっしゃると思います。
みんな、どうやって立ち直っているのかと・・・。
いつまでも こんな事を言っていてもしようがないのもわかっているのですが、どうしても悲しみから抜け出せないでいます。

投稿: ママチャリ | 2008年6月12日 (木) 12時08分

ママチャリ様。
お返事遅くなってごめんなさいね。
 
多分ですけど、多分ですよ!あくまでもね。
私もそうですが、身内をなくされた方、大事な方をなくされた方は誰も悲しみからは抜け出せないと思います。例え亡くなられたのが、人でなくてペットでもだと思います。
それで私は良いのだと思います。
悲しみから抜け出してしまったら、なんだか、「人」ではないような気がします。これは私の考えです。
その「悲しみ」を知っているからこそ今日も明日もあさっても楽しいときは笑って、怒るときは怒って、そして悲しいときには泣いていられるんだと思います。
ただ、悲しみから抜け出せなくて、毎日泣いていてばかりではいけないのだと思います。
それに、「悲しみ」からは「悲しみ」しか生まれませんから。
 
夜、枕がビチョビチョにぬれて、次の日に目が腫れても笑っていれば元気がでますよ。
 
ママチャリさん。
それでも、悲しいですよね。
私は母が亡くなった時より、子供が生まれてからの方が母がいないことに寂しさを感じます。
 
長くなってしまいました。
 

投稿: 壱番館のBUNちゃん | 2008年6月12日 (木) 20時29分

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